わたしたちはからだに関することを誰から習ったのだろうか。妊娠、出産、いのちが生まれる、ということについて、どこから情報を得たのだろうか。なんとなく、知らないうちにマスコミを通じた情報と、学校や本で習った権威的な医療知識の末端をつなげ、モザイク模様のような知識を自分の中に広げることができるだけ、のような気がする。人が産まれるそばにも、人が死ぬかたわらにも、もはや「ふつう」の人は居合わせることがほとんどなくなって、生と死を医療の範疇に囲い込んでしまってからもう何十年も経つ。
人が生まれ、次世代をつなぎ、死ぬ。誰もがこの生を生き抜いていくために、「人が生まれて死ぬ」物語、が必要であり、その物語を語り継ぐには、医療の知識だけではいささか心もとない。ほんの少し前まで、そのような物語は、専門知識と関わりなく、先の世代からお話として、あるいは実際の経験として伝えられていたのではないか。若い人の周りには、おじさんやおばさんや近所の人やあるいは旅の人や、たくさんの先の世代が、ななめの関係をはりめぐらして、よいことも悪いことも、伝えていたのだと思う。
今、家庭で性といのちに関する教育を、といわれても、できる雰囲気の家とそうでない雰囲気のある家があるだろうし、そもそも家庭内で性の話題をとりあげることに気恥ずかしさやためらいのある家がほとんどだろう。学校で、そのような教育を、といわれても、権威のシステムの中での発想は、やはり権威の知識の正しい伝達、が求められるところもあり、物語を語り継ぐには十分ではないだろう。やはり、ななめの、多彩な関係によって語り継いでもらいたいもの、と考える。
近所のおばさんが、「ねえねえちょっと知ってる?」と語りかけてくれるような、わけしりのおねえさんが、「いいこと教えてあげようか」と耳打ちするような、そんな優しい語り部の誕生をこそ、「誕生学協会」に期待している。
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